あとがき

 

 私のライフストーリーを語る機会は、この5年間だけでも何度となくあった。それは、コーチングやリーダーシップのトレーニングの場だけでなく、自ら開催するワークショップの中でもストーリーテリングという形で語ってきた。ただ、ここまで人生まるごと、そして、自分の心情を中心として語ったことはなかった。

 

 とはいえ、ここで書いたライフストーリーは、私の人生の一部、一側面に過ぎない。(今回はあまり書かなかったが)楽しいこともたくさんあったし、充実していた時期もあった。
 ホームページで私自身のライフストーリーを書くにあたり、読んでくれた人に明確に伝えたいキーメッセージがあった。今回、そのメッセージに沿って、自分の人生を振り返り書き留めた。特に、心情は、いわゆるネガティブな心情を中心に書いた。それも、何度となく自分の頭を過りながらも、その状況の中で生きていくために「見ないふりをしていた心情」を。

 

 読んでいただいた方がどう感じているかはわからない。ただ、改めて自分自身でこのように振り返ってみて思うことは、一般的にみたら大きなトラウマとなるような出来事はなかった、ということ。(私の相談者に多い)近親者に自殺者がいたわけでもないし、大きな事故に遭ったわけでも、戦争を経験してもいない。これまでの人生の中で、生死を強く意識するような大きな出来事が起きていたわけではなかった。それでも、なぜか私の人生の中で大きく占めていた「見捨てた」「見放した」「俺のせいだ」という心情。起きた出来事に対して大きすぎる強い罪悪感と深い悲しみ。実は、これといった理由・原因がないのにも関わらず、大きすぎるネガティブな感情を持つ、心の奥底に抱いている人は多いのではないだろうか、とも感じている。

 

 また、徹底して自分の内面を深く掘り下げなければ「自分を生きる」ことはできない、と感じる人もいるのではないか、という懸念がある。以前、実際に、第6章最終章などで書いたようなことをストーリーテリングで話したことがある。そのとき、聴いていた人からのフィードバックに「全てを手放してまでやらなければいけない」「ストイックにやらなければならない」という印象を与える、と言われたことがある。私はそう意図していないし、同じようにして欲しいとも思っていない。万一、私自身に同じようなことがもう一度起こったとしても、別の方法を選択すると思う。

 

 これまで、そして、今、あなたがどんな状況であろうとも、あなたが本心から願えば、自分の人生は自分で切り拓いていくことができる。私はそう信じてやまない。むしろ、ネガティブと言われる心情・感情を抱えてきた人であればあるほど、その経験を糧に、これから豊かな自分の人生を送ることもできる、とさえ思っている。

 

 ここまで読んでいただいて、ありがとう。今、そして、これからのあなたの人生が充実し、豊かであることを願っています。