第6章 舵を切る

 

独立

 

 独立といっても、いろいろな意味が含まれていた。

 たとえば、仕事のこと。話を聴いて喜ばれることが増えても、生命保険の営業成績は上がらない。じっくり話を聴けば聴くほど、生命保険の新たな契約はほとんど必要なくなった。収入も不安定かつ低空飛行のまま。このまま会社に残り続けることは難しい状況になった。同時に、人にたくさん会い、話を聴くことのチカラを知れば知るほど、コーチングを仕事にしたい、という想いが募っていった。両方の意味から、会社を辞め、コーチングで独立することを決めた。クライアント(お客様)もゼロだったし、どこかの会社とコーチング契約する見込みもその意思も全くなかったけれど、コーチングをすることに決めた。

 

 たとえば、前妻とのこと。毎日のように嘆いている彼女と一緒にいることができなくなっていた。私自身の状態が、彼女の話を受け止められる余裕が全くなくなっていた。少し二人の距離を置くために、1カ月ほど彼女に実家に帰ってもらうことにした。彼女が実家に行っている間に、会社を辞め独立することを決めた。一人で勝手に決めた。そして、彼女にそれをメールで伝えた。1か月後、彼女は私に「もう一緒にいられない」と告げた。独立することは、彼女にとって、それでなくとも不安でいっぱいなのに、さらに不安定さが大きくなる独立・起業は耐えられないことだった。私からのメールを受け取った時点で、彼女は決めていた。離婚が決まり、独りになった。

 

 

終える覚悟 

 

 独立するとき、二つの想いがあった。それは、決意と覚悟と言っていいかもしれない。 

 一つ目は、自分が生きたいように生きよう、だった。自分には守るものも何もなくなったのだから、思う存分やろうと思った。うまくいくあても根拠もない。コーチングで生きていく、仕事にしていく、と思っていても、(独立を決めた時点では)専門トレーニングを全く受けていない状態だった。「ちょっと話を聴くことが上手な素人」に過ぎなかった。それでも、「聴く」ことで生きていく決意をしていた。

 

 そしてもう一つ。前妻と離婚すると決めたとき、強く思っていたことがあった。それは「彼女を見捨てた」という思い。今思ば、彼女よりも私の方がよほど不安定だったのだけれども、彼女を支える人がいなくなったら、そのうち彼女は死を選ぶのではないか、という思いが強くあった。なので、もし彼女が死を選んだら、その時は俺も死のう、と決めていた。

 また、生きたいように生きる、と決めてはいたけれど、貯金も含めて先立つものがあったわけではなかった。失業保険を申請すれば多少の金銭的に余裕ができたのだろうが、申請することはしなかった。退路や自分を甘やかす可能性があるものを、全て取り除きたかった。そして、やりきった結果、貯金もなくなり、生活できるだけの収入も得られないようであれば、その時も死のう、と決めていた。

 生きる決意と死ぬ覚悟ができた。もしかしたら、死ぬために生きる、という意味の方が強かったかもしれない。

 

 

生きること

 コーチングで生きていく、聴くことで生きていく、と決めてから、二つのことを始めた。一つは、専門機関でトレーニングを受けること。もう一つは、自分がプロコーチからコーチングを受けること。どちらも、経済的にはとても大きな負担となるものだったけれど、思う存分やりきってみる、と決めていたから、まったく迷いがなかった。

 

 コーチングを受け始めたとき、ほとんどの時間、泣いていた。

 当時のコーチとは、代々木駅前にある喫茶店でセッションを行うことが多かった。そこで打ち合わせなどでも使うような喫茶店なので、店内にお客さんは常に10人以上いた。そんな中、40歳を過ぎた大人の男がずっと号泣していた。

 なぜそんなに泣いていたのだろうか。理由は、仕事や将来への不安とか経済的不安ではなかった。前妻に対する強い罪悪感。彼女に対して、本当に必要な対応ができなかったこと。大切な人を大切にできなかったこと。そして、根本的なところでの、自分自身に対する自信のなさ。自分の弱さ。これらが理由だった。

 約半年間、隔週でセッションを受けた。これまでほとんど他人に話すこともなかった自分の内面のことを話し、感情を露わにして泣き続けた。泣き続ける私の話であっても、大の大人のみっともない話でも、「ただ聴いてもらえる」という経験は、その後の自分のあり方にとって大きな経験となった。

 

 専門機関でのトレーニングでは、思いっきりやった。それは、コーチングの機関だけでなく、心理カウンセリングや精神対話士などの講座にも通い続けた。

 トレーニングでは、自分がプロのコーチであること。プロコーチとして、コーチングと傾聴を磨くことにコミットした。どんなあり方を身に付けていけばいいのか、考えられる限りのあり方で挑んだ。当時、プロコーチとは何たるか、をはっきりわかっていたわけではない。なので、トレーニングの中でたくさんの失敗や間違いもした。トレーナーから怒られたこともあった。それでも、プロコーチとしてやりきるようにやった。

 同じトレーニングを受けている仲間や知人などに声をかけて、コーチングセッションを受けあう自主トレーニングも山ほどやった。同じ専門機関の人たちだけでなく、他の機関で学ぶ人たち、コーチングではなくカウンセリングを学んでいる人たち。セッション後にフィードバックをもらい、そのフィードバックを受けて、また別の人とトライしていく。それ以外にも、「聴く」ことにつながると思えるものなら何にでも飛びついた。いつこの時間=いのちが終わってもいいように。