最終章 自分を生きる

 

伏線 

 

 独立から1年も経たないうちに、さらに大きな変化が自分の内側で起きた。死ぬために生きるではなく、「生きる」ことだけにコミットできるようになったのだ。罪悪感や後悔から生きるのではなく、自分の弱さを含めて、これまで生きてきた経験をすべて持ち続けながら生きること。今、この瞬間から未来に向けて生きること。そのことにコミットしていた。

 

 これには、大きく二つの伏線があった。

 一つは、感情をそのまま出し切れたこと。(第6章でも書いたように)泣くだけ泣き切ったこと。それがたとえ大人として、男としてみっともないことだったとしても。自分の弱さをそのまま認めることができた。そして、その姿を受けとめてもらえる人がいたこと。この経験はとても大きかった。

 これは、コーチの前だけではなかった。専門機関でのトレーニング中やリーダーシップトレーニングの合宿の中で、少なくとも100人を超える人たちの前で感情を出し切り、そして泣き切った。あるがままの状態ではなく、何かの殻を身にまとい生きること。それは、大人になる過程、そして社会人として生きる中で身に付けてきた術ではあったのだけども、同時に、自分の中にあったさまざまな感情や想いを抑圧して生きていた。それを抑圧することなく、殻をまとうことなく、ただ出し切れたことは、自分自身を生きていくための大きなチカラを養っていった。

 

 二つめは、自分の生きる目的=人生の目的がわかったこと。私がトレーニングを受けていた専門機関の一つは、CTI Japan。CTI JapanではCo-Activeコーチング®のトレーニングを行っているが、その中で自分がなぜこの世界に生まれたのか、という人生の目的を思い出すワークを行う。そのトレーニングの中で「ああ、これなのか!」と思える人生の目的を表す言葉「ひとつであること」が紡ぎだせたことが大きかった。

 人生の目的を表す言葉は、その後、森のリトリート®Co-Activeリーダーシップ®天職創造セミナーファミリーコンステレーションなどの経験を経て変化をしているが、言葉の源は同じ。自分の生きる目的を明確に意識し、その目的に沿って考え、全ての行動を行う。これらの経験から、そんな生き方ができるようになっていった。

 

 

自分を生きる 

 

 大きな二つの伏線は、「生きる」だけではなく、「自分を生きる」ということにつながっていった。

 自分自身に問いかけ、自分の内面を観ていく。その時、どんな行動をする(した)のか。その行動の背景には、どんな考えがある(あった)のか。その考えは、そもそもどこから来たものなのか。その行動や考えは、自分の人生の目的に沿っているのか?さまざまな視点から問いかけた。それは、自分一人だけで行うのではなく、他の人の力を借りたり、時には森などの自然の力を借りて行った。

 また、自分が他の人に行うコーチングセッションを通して問いかける時も同じ。他の人に何かを問いかけるとき、同じ問いかけを自分自身にも行ってきた。その質問について、自分自身についてはどうなのか?と。ありとあらゆる場面、時間が、自分を生きるとはどういうことか、を問うために使った。

 

 とはいえ、今でも、幾度となく「自分を生きる」ことから逸れることがある。

 これまで生きていく中で身に付けてきた「~すべき」「常識では~」「普通は~」という言葉に、無意識に従って行動することもまだまだたくさんある。「これが自分だから」ということを強く意識しすぎたために、他者の気持ちを考えずに行動し、傷つけてしまうこともある。そういう失敗や過ちも何度も繰り返す。それでも、私が最も大切だと思っていることに立ち戻れるようになった。

 

 自分を生きることとは何なのか。それは、まだ明確に答えられる言葉は見つかっていない。それでも、自分を生きている、という確かな実感がある。そのように生きられるのは、自分だけでは絶対にできなかった。同じように、この5年間、自分を生きることにコミットし、そこに向かって生きているたくさんの仲間たちに出逢っているからこそ、できること。確かな確信をもって、そう言える。

 

 

家族をつくる

 

 自分を生きると明確に決めてから、約1年半後、現在の妻となる人と出逢った。

 彼女と初めて二人で会うときに、決めていたことがあった。それは、「自分の弱さ」を伝えること。もっとも弱いところを、そのまま伝えること。では、彼女にどんなことを伝えたのか。離婚経験があること。気持ちが不安定だった前妻を、自分の弱さから傷つけてしまったこと。そして、一緒にいることが耐えられなくなったこと。ときには、叩いてしまったこともあったこと。そういった過ちを繰り返してしまうのではないか、と恐れていること。そのまま、自分が感じているもっとも弱いところを伝えた。そして、その話を、彼女はそのまま受けとめてくれた。

 

 事実や自分を偽ることなしに自分の弱さを話し、彼女にその弱さを受けとめてもらえたことで、自分の中で”ある許可”が降りた。それは「家族をつくること」。

 そもそも、家族をつくるとはどういうことなのか、全くわからなかった。どう家族をつくればいいのか、全くわからなかった(第3章参照)。それでも、彼女と出会ったことで「家族をつくりたい」と思った。つくり方がわからなかったとしても、「俺はこの人と家族をつくる。つくることができる。」という許可を自分自身に出せた。

 

 家族をつくる、という許可が出せたからといって、簡単に物事が進んだわけではない。

 何度も何度も彼女とケンカした。もういい!、と突き放し、怒鳴ったこともあった。それでも、彼女と家族になる、家族をつくる、と決めていた。彼女もそれを許してくれた。だから、何度も何時間も話をした。「ちゃんと家族になろう」という理由で、二人で8カ月間システムコーチング®を受けた。システムコーチというプロの第三者に入ってもらいながら対話をした。セッション以外でも、二人だけで、それぞれが大切にしている価値観や願いなどを何度も何度も聴きあった。そのプロセスは、二人は家族である、という柔軟で確かな関係性を育んでいった。システムコーチングはその時以来受けていないけれども、娘が生まれてからも、娘の前で二人で対話をする「家族の時間」はずっと続けている。

 

 

プロセス
  
 自分を生きると決めてから、まだ5年。私がこれから何年生きるのかわからないけれど、一つだけわかっていることがある。自分を生きることは、常に「自分を生きるとは何か、と探究しつづけるプロセスである」こと。死ぬ瞬間も含めて、自分を生きるプロセスなのだ、という確信がある。プロセスだからこそ、常にその過程にあるからこそ、「本当に、自分はどう生きたいのか、生きるのか」そう問いつづけながら、さまざまなことを考え、取り組んでいくことになる。

 

 また5年間、自分を生きることを実践してきて、深く感じていることがある。それは、「この人生は、なんという充実した人生なのだろう」ということ。嬉しいなあ、幸せだなあ、ありがたいなあ。そんなことを毎日毎日、感じながら生きている。

 もちろん、悲しいことも、悔しいことも、不条理だと感じることもたくさんある。思い通りに行かないこともたくさんある。というより、おそらく、思い通りの結果にならないことの方が多いのだと思う。それでも、自分の生きる目的、人生の目的を持ち、そこに向かっていくというプロセスを歩んでいると、「俺の人生は、充実している」とはっきりと言える。

 

 たくさんの夢を持つ、夢を実現していく。そういう人生もいいのかもしれない。かつて、私も夢を持っていた。いろいろな夢を。でも、夢を突き詰めていったとき、私個人の夢は一つだったことに気づいた。それは、家族をつくること。そう、すでに、私個人の夢、家族をつくることは実現した。自分を生きるプロセスの途中で、それは突然、何の前触れもなく、実現した。

 自分を生きるプロセスを歩めば、自ずと夢が実現する、なんてことは言わない。でも、確実に、充実した人生を実感すればするほど、自分が想像していた以上のことが起こる。これからも、結果的に、自分が想像した以上のことが起き続けるのだろうと感じている。